昭和42年07月03日 夜の御理解



 今日は午前中に親教会から電話が御座いまして、すぐに話があるから出て来いと言う事出御座いましたから、私ともう取る物も取り合えず、このままで参りました。丁度福岡から徹君が来とりましたから、徹君の車でまあ行き戻り送って貰ったんですけれども。このまま行きましたもんですから、汗が出る。そこで汗を拭こうと思うてから、下着一枚になっておる所へ次々とお参りして来る人達があって、それもいわゆるシャツ一枚で言うなら、お取次の出きれる方。
 いやそれの方がざっくばらんで、返っていいと言った様な人達が、次々と参って来るんですね。とうとう私そこであの信者控え室で、そのシャツ一枚で話し込んでおりましたら、もう久富先生が、交替で見えましたからとうとう奉仕着を付けんまんま、昼からも矢張りシャツ一枚、今日は又本当にあの夕方私ここに四時、五時頃出て来る様な事はないんですけれども。
 今日は何とはなしに散歩がしたいと思いましてから、ここに出て参りましたら。そこに奉仕着が御座いますもん、ああ誰か参って来とるなぁと思いよったら、秋山さんがよそから参って来ておった。はぁあんたが参って来とったのと、いうてから私は丁度秋山さんお取次さして頂いて下がってから又、その散歩に行く積りで出ていこうとしよりましたら、見知らん人がその手洗いのとこで手を洗いよりますもん。あらあなたはどなたでしたかね、というたら私は誰々で御座います。
 ああほんにそうそうもうその方の奥さんが熱心に参って来るんです。ご主人というのが椛目時代に一回お参りして来た事があった。矢張りあの何というですかあの安田生命の大川の支店長をしておられます。それがあのなんとはなしに、先生ここ二、三日ですねあの一遍しかお会いした事のない先生に一遍お会いしたい。お会いしたいと思うて、実は今日は何か別に是はお願いせんならんと言う事でもないのに、今日は出て参りましたんですよ。とこういうてから、みえられたんですけれどもね。
 ですからもう勿論その廊下ん所の、風の入る所でざっくばらんに、いたぶらんで冷たいお茶でも、頂きながらお話する様なお話でした。そこにその秋山さんが、ちょうど保険の外交員さん達ばっかりだもんですから、話が色々弾んで、丁度もう日の暮れるまで話こんどりました。とうとう私が今晩の御祈念を奉仕するまで、この奉仕着を付けないままで御座いました。もう今日は終日そうでした。
 なるほど私は楽ですし又神様の御都合というのは、本当に有り難いもんだと思うんですけれども、それの方がいい。いやそれでいい、その方が又却って相手にも気取らずにいいと、言う様な感じの、お取次ばっかりで御座いましたけれどもですね。さぁ今ここへ座ってみてから、私は思うんですね。今日のお届け帳をくらして頂いたらですね、いつもの三分の二無いくらいです。
 まぁどんなに少なくても、是は百八十名のお届け帳に載るんですよ。最近のお届けはどうしても二百名越とるです。にも係らず、今日はこの言うなら半分しかない。まぁ百八十人にしても三分の一しか無いと言う様な、大体お参りはバラバラあっとった様ですけれども、実際はならお届け帳が一番証拠なんですね。本当にここにひとつ分からして、頂かなきゃならん物があるなと言う事です。
 私最近有り難いと思います事は、子供達が、勿論若先生はもう勿論ですけれども、光昭達までちゃんとあの誰が言うのでも無いですけれども、まぁ一番どん尻の一時間を奉仕しますもんですから、ちゃんと奉仕着付けて出て参ります。御祈念になるとちゃんと、奉仕着つけて出てくる。ですから、まぁ四名五名の修行生の方達がずらっと、その正面に並んで紋付き袴着けてから、御祈念を致しておりますとですね、もうその方達だけとでも、何とはなしによい御祈念が出来るんです。
 私はもう内容が第一番だ、身なりや形はどうでもいいというですけれども、そうじゃないようですね。信心というのは、矢張り紋付き袴着ければ紋付き袴、着けただけの心持ちというのが確かに、頂ける事だけは間違いないです。今日の私のなら、まぁいうなら肌着一枚での今日一日には、こう言うふうにお届け帳に表れて来るもんですから事実が。そりゃお参りが少なかったと言うなら、水揚げが少ないと商売で言うなら、と言う事じゃないんですね。どれだけ助かるか助からないかと言う事なんです。
 是は本当に私共迂闊にしておられないなぁ。成る程神の前を開けた様なまぁ開けはしませんに致しましても、神様の前には何時も慎んだ姿というものが、必要であるなぁと言う事を今日は、私は愈々感じましたと同時に、紋付き袴着けて前にちょっと四、五人の者でも並んでおりますとです、それだけでも私は何とはなしに御祈念がしよい。是はもう昔の椛目から続いておられる方達の信心が、もう皆さんもお気付きだろうと思うんですけれども、御月次祭何かはみてご覧なさいませ。
 もう昔の信者は必ず男はどんなに暑かっても皆、背広を着込んで来ます。昔から是は椛目の私のそれが流儀だったからなんですよ。結局私の信心を見習うておる訳なんです。( ?  )久富さんあたりも朝晩こうやってお参りになる。言うならもうお百姓さんしておられるから、もうそれこそ仕事着と変えてもうヤレヤレと言う所で御座いましょうけれども、又こう背広着込んだ上にネクタイまでこう締めて矢張りみえられる。
 しかしそこにですね、私はあの合楽的信心というのが、有る様な気が致しましたですね。月次祭の時ご覧なさいませ。新しい御信者だけです。開襟シャツで来とるちいうのは、もう昔の信者さん方は全部着込んで来てます。如何にあの矢張り形も大事かと言う事が分かるですね。私は今日は本当にそれを体験しました。もう私がもう午前中から、言わば肌着一枚で又、肌着一枚で丁度いい様な丁度いいと言うと、失礼ですけれどもその方がいい様な感じのみてご覧。
 私がこげんざっくばらんにこうしとるけん、ほらこげな話はとても私が御結界じゃでけんよ、こげな話はというてお話が出来る様な人達の、お取次を次々とさして頂いたんですよ。けどもなら締めくくってみると、こう言う事になっとりますから、矢張り私共が紋付き袴着けて、夏でもこうして白足袋はかせて頂いておると言う事は、これは伊達や酔狂じゃないと言う事が、分かるです。
 皆さんとても同じ事、私は今日、昼も家内に話した事ですけれども、今日はどうもお腹を下すんだ。とこう言うんです。吐き気がすると言うんですよ。そんならお前、改まって何故御広前へ出らないか。どうぞ例えば、よそから参って来なさる人達の様な気持ちで、御広前へ何故出らんかと、改まってと言う事は素晴らしい事なんですよ。信心には。改まってお願いする、改まってお願いに出る。
 別にこしらえて来いという訳じゃない。別に良い着物と着替えて来いと言う訳じゃ無いですけれども、そこの所が大事。エプロン掛けとるならエプロンを外して、前掛けはめとるなら前掛けのひとつも取らして頂いて、という私はそういう気持ちがね、信心にはどうでも必要の様です。それがです、例えば今日ここのお広前に、現れておるおかげの、もし数で言うならばです。
 いつもは二百名を越すごとあるのに、今日は百二十名足らずであると言う事なんですね。ですからなら、お互いのおかげの上にもですよ、きちっとしてお参りをすると二百のおかげが受けられる。そりゃざっくばらんでもいい事はいいけれども、それじゃったら、百二十のおかげしか頂かれんと言う事にもなる訳なんですよね。皆さんの場合でもこりゃ、本当にあの私はまぁ何というでしょうかね。
 信心さして頂く者のひとつの何ですか、神様に対する所のまぁエチケットでも申しましょうかね、所が私は大事にして行かなければならないと言う事。私自身ねこのいわゆるざっくばらんな姿、ざっくばらんなお取次さして頂いてから、あの結論がここに出て来ておる事を思うてですね、それを感じさせて頂いたので御座いますが、どうぞ皆さんちょっとして心がけで出来る事で御座いますからね、おかげ頂かにゃいけません。
   どうぞ。